因幡国庁跡(いなばこくちょうあと)は、鳥取県鳥取市国府町中郷に所在する、律令制下の地方行政機関の中心施設跡である。
1977年(昭和52年)の発掘調査では、国庁の中心部にごく近いと推定される建物群の一画が発見されて、翌1978年(昭和53年)には史跡に指定されている。発掘調査で10軒余の掘立柱建物、2条の柵、2基の井戸、数本の道路と溝などが検出された。これらの遺構は、石積み遺構や溝に囲まれており、中心殿舎は、桁行5間×梁間4間で南北の両面に廂を持つ掘立柱建物と後方約7、8メートルに軸線を同じくして桁行5間×梁行2間の切妻型の掘立柱建物である。中心殿舎の南側約750メートルの所に桁行7間×梁間3間以上の東西棟の掘建柱建物(中世に下る)が国庁の南限を示していると考えられている。
これら中心遺構の年代は、近くの溝から出土した「仁和2年假分」(886年、けぶん)の墨書を持つ題簽(だいせん)、木簡やその他の資料から、平安時代初期以降のものと考えられている。
⇒因幡国庁跡についいて(鳥取市公式ウエブサイト)
鳥取藩主池田家墓所(とっとりはんしゅいけだけぼしょ)は、鳥取県鳥取市国府町奥谷にある鳥取藩主池田家一族の墓所。国の史跡。
元禄6年(1693年)に初代藩主池田光仲が没し、因幡国法美郡奥谷村、因幡国一宮宇倍神社の北隣に被葬されたことに始まる。光仲より11代慶栄までの墓がある。なお、最後の藩主である12代慶徳の墓は多磨霊園にある。また、支藩である鹿奴藩(東館)、若桜藩(西館)藩主の墓も一部ここにある。
⇒鳥取藩主池田家墓所について
奈良時代~平安時代に因幡国国府が置かれていた国府町に立地する。当地ゆかりの大伴家持ら万葉集の歌人と、因幡国の歴史民俗文化に関する資料を展示する。 因幡万葉歴史館の竣工を記念し、古代因幡の豪族伊福部家の67代目に当たる、戦後を代表する作曲家の伊福部昭に、大伴家持の万葉集の歌の作曲を依頼し「新たしき年の初めの・・・・」を始めとする「因幡万葉の歌5首」の歌曲が誕生した。歴史館の竣工式の日に国府町中央公民館で、25絃箏の野坂恵子など日本を代表する演奏家によって初演が催された。伊福部昭の直筆による楽譜が歴史館に寄贈されている。
⇒因幡万葉歴史館について
殿ダムは平成のピラミッドと呼ばれるロックフィルダムと呼ばれ、因幡万葉湖が加わり、周辺は美しい景観を望むことができます。
ダムの高さは75m(鳥取県本庁舎の約2倍)、幅は294mあり、体積は約211万㎡で、東京ドームの約1.7倍になります。
殿ダムは鳥取市国府町殿地先につくられ、鳥取駅から車で約25分ほどの場所にあります。
⇒殿ダムについて
平成2年に日本の滝百選に選定された鳥取県一の大飛瀑の雨滝。
扇ノ山から流れ出す袋川にかかる落差40mの滝で原生林に囲まれた場所とあふれ出んばかりの水量が落ちる姿は迫力満点です。周囲にも大小48もの滝が存在し、いずれも自然のままの滝を見ることが出来ます。
古来より霊場として修行・信仰の場所となっていたこの地ではかつて旧暦8月1日には「お滝まいり」が行われていました。現在は毎年6月第1土曜日に「滝開き祭」が開催され、壮大な滝をバックにこの地方の伝統芸能である「因幡の傘踊り」や神事などが行われています。
滝付近までには、遊歩道や東屋があり、秋の紅葉、初夏の新緑を満喫できます。
⇒雨滝について
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