宇倍神社は、孝徳天皇大化4年(648)の創建と伝えられ、平安時代にまとめられた延喜式(※1)では鳥取県で唯一の名神大社(※2)、また一の宮として信仰を集め、明治4年に定められた制度により国幣中社(※3)に列せられました。現在の社殿は、明治31年に完成しましたが、翌32年には全国の神社では初めて、御祭神である武内宿禰命(たけのうちのすくねのみこと)の御尊像と共に五円紙幣に載せられ、以後大正・昭和と数回当社が五円・一円紙幣の図柄となりました。
お金に御縁があり、商売繁昌の神様として全国からの参詣が絶えません。
※1:延喜式(えんぎしき):平安時代中期にまとめられた格式(律令の施行細則)。中でも巻九・十は延喜式神明帳(えんぎしき じんみょうちょう)といい、当時「官社」に指定された神社の一覧が纏められた。
※2:名神大社(みょうじんたいしゃ):延喜式神明帳に記載のされた神社の中でも重要とされ、特別の社格が与えられた神社。
※3:国幣中社(こくへいちゅうしゃ):明治維新以降に定められた制度により、官幣社や国幣社といわれる神社の格付けがなされた。国幣社はそれぞれ大・中・小の格が与えられた。現在では用いられておらず、旧社格と言われ目安として用いられている。
武内宿禰命(たけのうちのすくねのみこと)は第十二代景行天皇より、成務・仲哀・応神・仁徳天皇の5朝にお仕えされ、まことをつくして天皇の信任篤く、わが身を投げうって東奔西走、日本の統一に尽力されました。
わが国で最初に「大臣」の称を賜わり、日本の国造りに功績のあった神さまです。
命(みこと)はまた、進んだ大陸文化を導入されて、古代大和朝廷の最盛期を築き上げられました。特に仲哀天皇・神功皇后を補佐して北九州に出陣されご活躍になったことは有名で、ご幼少の応神天皇(八幡さま)を抱き奉る姿は5月端午の節句に掲げる幟(のぼり)の絵柄となっております。
命(みこと)は仁徳天皇55年春3月因幡国の亀金岡(かめがねのおか)に双履を遺し、360余歳でお隠れになったと記されています。
古くから宇倍神社本殿の後にその霊跡と伝わる石があり、双履石(そうりせき)と呼ばれています。
ここは日本一長寿の神さま御昇天の地です。
神社においての祭りの意味は、心身を清め、神様に感謝の心を捧げることにあります。
祭りには、厄除けや結婚式などの身近なお祭り、地鎮祭などの建物に関わる祭りがありますが、中でも毎年変わる事無く恒例の神事として繰り返されるお祭りが、神社では最も重要な祭りとして今に伝わっています。
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